Dftf ver2.0

某家庭科教員の個人記録。

「Q.どう子育てしたいか」生徒解答集 (2019ver)

昨年に引き続き、家庭科、保育分野の学習を終えて、生徒に論じさせた、
「父親となったときに、どう子育てしたいか。」

今年は授業で扱った内容を踏まえてと強調したので、少しその要素が強めになってしまいましたが、小さな子のことを考えて、しっかりと書けていました。今の自分を見つめ直している子が多い印象。
いくつか抜粋してご紹介。※文章は基本的に原文ままにしました。

 

 子どもは大人が思っている以上に独創性を秘めている。幼稚園実習では一つの道具を使って様々な遊びを展開している幼児の様子に驚かされた。もし父親となったとしたら、子どもの独創性を潰すということのないように気を付けなければならないと感じる。また、習い事はなにかしらさせたいと思う。その種類はピアノや体操といった慣例に流される必要はないと思う。というよりか、親が強制した習い事を続けることは本人の苦痛にもなるだろう。僕は小学生のころ自分で習い始めた油絵はとても良い経験になったので、自分の子どもにも自ら得意な分野を伸ばすよう勧めたいと思う。

 

 愛着を持って接すること、そして子どもの発達を促す、おもちゃや本といった環境の充実を心がけたい(当然安全にも気を配りながら)今現在僕には小さい弟と幼児の従妹がいるが、彼らに大して常に優しく愛着を持って接しているかと問われるとあまり自信は持てない。時にはつっけんどんな態度だったり、彼らの疑問に対して生返事で返してしまうことがある。自分の子どものときには、そしてもちろん今の弟たちに対して、態度を改めるようにしたい。

 

 「子育て」について考える上でまずは、子どもが生まれる前のことを考えたい。出生前診断ではダウン症偽陽性のケースがあったり、確定検査から中絶できる最後の日まであまり日がないので、事前に、検査の結果で産む、産まないなどをどうするかを決めておきたい。次に、「子育て」についてだが、赤ちゃんとの絆を形成する上で、スキンシップをすることはとても重要なので、自分が忙しくても必ず、赤ちゃんと触れ合う時間をつくれるようにしたい。また、非認知能力は将来に大きく影響するということがわかっているので、比較的時間に余裕のある幼児期や児童期に外に出て、自然と触れ合えるような時間を作りたい。さらに、子どもには先に何かをおしえるのではなく、子どもが体験的なことで学んでいくような子育てをしたい。

 

 私は、母親にいままですべて決めてきれもらった、というか、勝手に決められていた。自分で行きたい方向に行こうとするとそれを阻まれ、母親の思う方向にしか進めなかった。次第に私は母親のいう事の通りやっていれば何も言われないことを理解し、自分で考えることをしなくなった。しかし、この学校に入ってからは、自分で行動をおこす、自ら考えるということが重要であることに気づかされ、しかしその能力がないことに悲しみを覚えた。そこで、私が子育てをするとしたら、父親として子どもに様々な経験をさせてあげたい。習い事やスポーツ、勉強などである。また、危険なことに関しても、ハザードは取り除くべきであるが、リスクは経験できるようにしてあげたい。そうすることで。自分で考えることができるようになると思う。また、ネグレクトなどはあってはならないことなので、大切に子どもを育て、そして、愛情が少なく育つと言われる単身世帯にならないためにも、妻を大切にしながら、積極的に子育てをしていきたい。

 

 基本的には止めない方針を貫く、本当に危ないことや、他人の迷惑となることはしっかりと叱り、ダメな事という意識を植え付けさせるが、その他の点においては子どもの好きなことをやらせたいと考える。何かをやれという強制はなるべくしないようにする。親のエゴで無理矢理好きでもない習い事をさせるのは本人に何の得でもないうえお金の無駄である、また、一度経験をさせるということは、大切であり、習い事などの体験やレジャーなどはたくさん経験をさせたいと思う。意思が芽生えてからはなるべく本人の意思を尊重する。叱るときもただ怒鳴るなどの方法は非効率である。怒られるのが怖いからやめるという意識ではなく、その行動自体がダメだからやめるという意識を植えつける。なので叱る時はしっかりとわかるまで話す。

 

 今学期の学習の中で特に重視すべきと考えるのは「リスク」と「ハザード」の分類、そしてそれに対する親としての対応だ。近年では子どもの身を案ずるあまり、身の回りの危険や障害を過度に取り除く、過保護の、いわゆる"モンスターペアレント"の存在がある。こういった人々のクレーム等の行動により、子どもの発達の機会が失われてしまうのは非常によくないと考える。そのため、自分は将来、その2種の危険をしっかりと判別しハザードを取り除くなどした上で子どもの成長・発達を支える事ができればよいだろう。また、「非認知能力」についても深く考えたいと思う。自分はありがたいことに幼少期から様々な習い事に通わせてもらったことで、現在の役に立っていることを身をもって実感した。そのため、自分も将来は自らの子どもの発達の機会を増やすべく、習い事や周囲との絆など、非認知能力を育む経験をさせることにお金を惜しむことのないようにしたい。ただそのためには十分な収入がなければやはり苦しいだろう。がんばろう。

 

 まず、仕事に心血を注ぎすぎて家庭を軽んじることはしないようにしたいと考えている。妻だけに子育てをさせて自分は関与しないというのは妻子両方にとって良くないことだ。また、子どもがやりたいと思ったことは可能な限りやらせてあげて、その子にとっての何か1つ突出した才能を見つけさせたいと考えている。小さいうちに色々な経験をすることで感性が豊かになり、非認知能力も育つからだ。そして、幼稚園や保育園に入る前にも他の同年代の子どもとの関わりは特に大切だと考える。他人との関わり方は幼い頃から学んでおかないと大変だと思う。5~6歳ぐらいの年代は周りの人が使う言葉を積極的に真似して使おうとする年頃なので、子どもと話すときは、はっきりとした声でやさしい言葉づかいをこころがけるようにしたい。

 

 まず、授業でも取り扱われたが、リスクとハザードを明確にしたいと思う。子どもの生命に関わるハザードは排除するべきだが、すべてのリスクを排除してしまうと、危険な状況に実際に置かれたときに対処できないうえ、子どもの成長に役立つかもしれない。貴重な経験を奪ってしまうので、ある程度リスクある行動を経験させたいと思う。また、幼稚園実習の時に感じたが、大人が手伝い過ぎてしまうのはあまりよくないと思った。僕が担当した子は、はさみで紙を上手く切れなかった。自分が切ってしまおうかと思ったが、はさみの正しい使い方を教えると、その子自身で紙を切ることができた。このことを通して幼児の覚えの早さに驚いた。しかし、もし僕があの時に紙を切ってしまったら、その子ははさみを上手く使えないままだったと思う。子どもに自分でやらせることが大切なのだと思った。僕はこれらのことから、子どもには、たとえ時間がかかったとしても自分でやる経験を積ませたいと思う。

 

 今の時代、スマホやインターネットの普及によって昔に比べて子どもが「肌」で経験する機会が少なくなっている。私自身は都心に少し離れたところで育ってきたこともあり、のんびりとした町で育ったので、子どもにもゲームはネットよりもそういうところで少し「危険なこと」をして育ってもらいたい。それがおそらくこれからの時代の「価値」になると思う。

 

 僕は、自身の子どもが将来豊かな生活をしてもらいたいので、幼少期、児童期は非認知能力・社会的相続を十分に受けられるよう、本人がやりたいと思った習い事を好きなようにやらせてあげたいと思う。そして、子どもの精神を育む土壌である遊びを積極的かつ計画的に取り入れたいと思う。子どもの自主性、主体性、そして社会性を身に付けさせるために、また、のびのびと育つために、構造的遊び、機能的遊び、受容的遊び、創造的遊びをバランス良くさせたい。また、自身が比較的緩い環境で育ち、いい子?に育ったので、同じく自由に育てたい。また、絶対にしつけと称して虐待はしない。子どもの未来のために。

 

 僕は自分の子に英語が話せて運動が好きな子に成長して欲しい。英語は大学受験で使うだけでなく、これからは話せることが必須になっていくだろう。そんな中、英語を中学からスタートさせるのはきちんと、臆せず話すようになるにはその時点では遅いと思える。自分も中学から英語を始めたが、これを幼少期でやっていたら、どんなに楽だろうと思うことがしょっちゅうだ。自分が海外で勤める機会があればぜひ行きたいし、そのような機会がなければ、インターナショナルスクールに通わせたい。運動が好きだというのはとても大切だと思う。体が強くなるし、なにより小さいうちはそこから友達が増えていくからだ。自分も小さい頃にたくさん遊んでいたおかげで友達もたくさんでき、運動も得意だ。天気のいい日は外に出て遊ばせるようにしたい。あとはとにかく健康に育ってくれれば万々歳が。ってか、これだけ書いたけど、そもそも俺結婚できるんか?

 

 今まで生きてきてやはり思うのは、まだ社会について何も知らない状態の子どもは両親を基準にしてものごとを見るようになるということである。例えば、父親が家事を一切せずに母親がすべて請け負っている家庭で育てば、その状態が普通と考え、「女性が家事をして当然」と考えるようになる恐れがあるのだ。すなわち子どもに直接接してない所でもすでに教育は始まっていると僕は思う。そこで僕は料理、洗濯、掃除すべてにおいて妻と半々でこなしていこうと思っう。ただ、やはり子どもに見せつけるだけでは将来は実践できるか怪しいので、子どもと共に料理を学ぶような時間を設けていこうと思う。


 子どもとよく話をする父親になりたい。というのも小さい頃は僕が子どもに話したことを、子どもにも使って語彙を増やしてほしいし、その土台があれば、もし子どもがなにか悩んでいるときに気軽に話せるようになり、1人で抱え込ませることが内容にできる。そのためには、小さい頃からよく遊んだり、また、甘やかすだけじゃ全くもって意味がないので、しっかりと怒ったりしたい。また、できるだけ子どもの意思を尊重してあげたい。なにをするにも経験が一番大事だと盲の出、できる限りなんでもさせてあげて身をもって様々なことを学んで欲しい。例えば、エスカレーター逆走したいって皆が思うことも、ダメというだけでなく、人がいない時などにやらせてみて、意味がないってことをわからせてあげたい。

 

 一番大切だと思っているのは、子どもにたくさんの刺激を与える事だ。授業でやった、「危険なことをやってみよう」などのようなことから、講演で遊ぶ、虫取りなど幅広い体験をさせようと思っている。子どもがやってみたいと言ったことは(不可能なものを除き)すべてやらせてあげようと思っている。さらに、子どもの「Why?」にまじめに向き合い、一緒に考えることも大事だろう。子と親のつながりを意識して、子どもの行動に正面から向き合うことを将来の妻にもやらせようと思っている。(そのように僕が考えるようになったのは、「電車でスマホを渡して放置」「公園で遊ばせている間、自分はスマホ」ちう親を見かけるからである。自分の子どものころについて考えると、今の「僕」がいるのは、昔の「僕」のわがままに親が付き合ってくれたからで、多くの体験をすることができた。この体験がなければ、今頃僕はかなり違った人だっただろう。)結論として僕は「必要最低限の安全を守りながら、多くの体験」をさせることが大切だと思った。

 

 今の時代、男は仕事、女は家事という勝手に固定概念はなくなってきており、女性も社会進出をしている場合も多い、そのために家事はおら外に助け合いの心をもって、暇があり、空いている方が行うという形で分担するのがよいだろう。そして共働きとなる場合はもちろん、そうでない場合も、子どもと一緒にいられる時間は大切にしていかなければいけない。力が必要だったり、体力が必要な遊びなどを子どもとやる時は、率先してやることで子どもによい思い出を残したいし、良い経験をつませてあげたい。実際、僕も小さい頃に遊んだ記憶などは、いくつになっても忘れないものだと感じている。おそらく子どもというものは、まずは母親へなついていくものなので、そこはめげずにいきたいとも思う。また、小さい頃は自分のしゃべりたい事、思ったことをどんどん話してくるのだが、子どもの話をさえぎったりしてもダメなので、相手のペースに合わせる形で話していきたい。また、「しつけ」と称して身体的、精神的苦痛を与える虐待などは、絶対にしてはいけないことで、そこは気を付けないといけない。なにより子どもに十分な愛情を注ぐことが、将来その子のためになると思って、愛情副悪育てていけたらよいと思っている。そのためにまず、自分がしっかりしなくては。

 

 

 僕は今までの自分の人生をものすごく幸せだと思っている。私立の小学校に通い、中学受験は塾で勉強する機会を与えられ、希望の中学に入り、大学受験のための塾にも通っている。さらに、ピアノや水泳、野球を小さい子とからやり、海外旅行にもたくさん行かせてもらった。これらはすべて両親の頑張りのおかげである。産んでくれたことへの感謝はもちろんのこと、働いて稼いだお金で僕をすごく楽しませ面倒を見て、手をかけて育ててくれた。これら、両親への感謝に加え、尊敬の念、さらには、「自分も父のようになりたい!」という心が芽生える。僕が父になったとしたら、子どもにはぜひ、僕のように幸せな生活を送って欲しい。「やりたい」ことを「やらせてあげる」ように、困っているときにサポートでき、よい大人へと成長できる頼れるお父さんになれればと思っている。そのためにも、愛情を注ぐことの大切さを知ることや、そもそもこれから僕がちゃんとお金を稼ぐことも必要だし、今から将来を見据えて頑張っていくことが大切だとおもった。もう一つ、「困難に立ち向かったときに克服できる」ようになるため、チャレンジさせることも大切にしていきたい。

 

 

ちなみに昨年度はこちら。

「Q.どう子育てしたいか」生徒解答集 - DFTF ver2

数名に「父親として…という問いだてはよくないのでは?」とご指摘がありました。ごもっともです。来年は改善します。