Dftf ver2.0

某家庭科教員のただの個人記録。

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もうあかんわ日記 岸田奈美著

 

一言:これは「大変だけれど愉快なエッセイ」のようで、実は暮らしの中でそうそう起こりそうにないけど起こるかもしれない出来事の「対処手引き」なのではないかと思う。

 

わたしたちがスムーズに生きていくために都合がいい人を「健常者」、都合が悪い人を「障害者」と呼ぶのは、なんかずっと、ぎこちない違和感がある。

日記でも読んでいたけれど、改めてこの一文が強く印象に残った。

 

笑わせにきたかと思いきや、めちゃめちゃいいこと書いてたりもして、感情のジェットコースターに乗れる本。

これからの男の子たちへ 太田啓子著

 

 一言:昨今のジェンダー意識や観念の変化は、長い転換期の真っ最中だと自分の中では考えている。

 

本著は「有害な男らしさ」とはなんたるかを、とても丁寧に指摘し、男の子へのメッセージとして、こうあってほしいという想いが伝わりやすい書かれ方な点は非常によかった。

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日本の包茎-男の体の200年史 澁谷 知美著

 

 一言:どうしてこのテーマ?と思いつつも、読んでみると、探求する魅力が充分にあるテーマだと、非常に納得。

若者がいろんな情報を得て気にしてしまうというのは、
想像するに難くないけれど、
老年期にも気にする人がいて、その理由に男性性としてのプライドが関係してくるあたりは新鮮な視点。まさに男らしさの呪縛。
死ぬまでその観念に”包まれている”のが男なのか。
(あ、本書では包まれていること自体を否定していないけど。)

 

買ったときの一コマ。
店員「ブックカバーおかけしますか?」
自分「いや、いらないです」
--ここで男性である当事者の両者、なにかを察する…。--
店員「ホントにいいんですか?」
自分「はい、カバンにいれるんで。」

ブックカバーがメタファーになるとはね…。

 

6月下旬:追記。

 こんなコメントもついて…。タイトルだけみて反応したんだろうな。
発言者の表面的で薄い物事のとらえ方がよくわかる。

でも結局こういうところからしか、こういう話題に入らないし、入れないというのが現状で、呪縛として残っていくのかもしれない。
発言者の彼が、この本の中身まで読み、理解できる日が来るといいのですが。

住宅設計のプロが身につける 建築のスケール感

 

住宅設計のプロが必ず身につける 建築のスケール感

住宅設計のプロが必ず身につける 建築のスケール感

 

一言:住居分野の学習の参考として。

 

本書にあるように「空間の大きさを、観念的に数字で覚え」るだけでは、住生活を送るには不十分な気がしている。

 

・物件間取りで「〇〇畳」となっていたら、どれくらい広さで、その空間での活動としてどのようなことができるか

・テーブルを置くなら、そのサイズにプラスして椅子や椅子をひくためのゆとりが必要

 

ざっくりと感覚的に、そうしたことが把握できるような力を養いたい。

ニューロダイバーシティの教科書 村中直人著

 

 一言:脳や神経由来の違いを「文化圏が大きく異なる国同士の国際結婚」という喩えが秀逸ですごく腑に落ちた。こんなたとえができるようになりたい。

 

 本文に取り上げられるいくつかの「症候群」などの説明に対しては、思われがちである固定的な観念や、異なる解釈と世間でされてしまうことに対して、ていねいな説明で誤解を与えないようにしている。
「こういう風に思われがちではあるけれど、本質はこのようなものである」
と、前置きの部分と合わせた説明があることで、受け取る側(教科書なので、学ぶ側かな)も偏向的な解釈になりにくいと感じた(これも多様性的視点からの意図だろうか?)。

 

最後の、「半径10mの社会適応の提供」も、とても素敵な言葉。
「多様性を尊重しよう」が、どうしても一般的で壮大なものとして捉えがちになってしまうが、「近しい人に、できるところから、考えていく」という基本にたつことの大切さを再認識させられる。

 

 あと、手の倫理を読んだあとだったので、「個性を知り尊重すること」という観点にとてもリンクするものを感じた。
これぞまさに「合わせて読みたい」という感じ。

 

 

教材_絵本_候補リスト(随時更新)

このツイートに関連して、ひとまず名前が挙がったものを一覧にしていきます(随時更新?予定

 

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手の倫理 伊藤亜紗著

 

手の倫理 (講談社選書メチエ)

手の倫理 (講談社選書メチエ)

 

 一言:第1章で投げかけられた抽象的概念を、第2章以降の様々なエピソードが紐解いていくような本。だんだんと理解が進んでいく様が心地よい。

 視覚障害者のための音声、聴覚障害者のための文字情報などは、「配慮」とは呼ばれているけれど、無機質なままだと、ただの「措置」でしかなく、深くはいりこむという姿勢がないと、配慮とはいえないのかもしれない。
 ふれることが躊躇される昨今、仕方のない面もあるが、そうした「はいりこむ」感覚がないがしろにされてしまうのはよくないと感じた。